「素晴らしきかな、人生」を観てきた!
こんにちは、ともです。
基本映画はTSU◯AYAで借りて観る派なのですが、たまにはいっかと思って、2月25日公開したばかりの「素晴らしきかな、人生」を観てきました。
その感想と考えたことを書こうと思います。
あらすじ
成長を続ける広告代理店の創立者の1人として活躍を続けるハワード(ウィル・スミス)。しかし、彼の最愛の娘が亡くなったことにより仕事がまったく手につかなくなり、大きく傷ついていた。彼担当のクライアントも失いかけ、会社も大きく傾こうとしていた。
そんなときひょんな事から会社の共同創立者でハワードの親友ホイット(エドワード・ノートン)がある3人の俳優に出会う。ホイット、彼の友達で会社の同僚のクレア(ケイト・ウィンスレット)、サイモン(マイケル・ペーニャ)、そして3人の俳優と一緒にハワードをすくい出そうとするのだが…
ざっとこんな感じです。だいたい90分ちょいなのでサクッと観れちゃいました。
人とのつながり
この作品はかなり人とのつながりを濃く描いたものだと感じました。
とりわけ人とのつながりといっても、家族や恋人、同僚、友達などさまざまで、さらにその中でも重きを置いているつながりもさまざまです。
その中の人が困ってる、ひどく落ち込んでいるとなったらどうしますか?
もちろん助けたいと思いますよね。
この映画はその助けようと奮闘する過程を濃く描いたものだと思います。
しかし僕が1番感じたのは、助けたいと思っている、助けようと奮闘している人も時として助けられることをあるということです。
実際この映画の中でも悲しみに暮れる中でもハワードは仲間たちに素晴らしいアドバイスをしていました。
助けようとしている人は目の前のことしか見えなくなってしまいます。
逆に、助けようとされている人は実は自分を助けようとしてくれている人のことをよく知っていて、周りもよく見えている。(この場合ハワードが優秀なのもありますが)
さらに、この映画を見て、助けたいと思う気持ちは、かなり強制的だと感じました。「彼を元気にしてあげたい」、「昔の彼のようにしてあげたい」などこれはその当人が望んでいないことかもしれません。
あなたが死ぬほどつらい経験をして何も手につかない状態のときに、あなたを元気づけようとした友達からボウリング行こうぜと言われたらどう思いますか?
僕だったら行きません。ほっといてくれとなると思います。
難しい線引きです。
本当に力になってあげたいと思う、そんなときは聞いてみたらどうでしょう?助けがいるかどうか。
欲しいと言われれば協力してあげたらいいし、いらないと言われればそっと見守る事も大事です。
3つの要素 愛・時間・死
この映画ではこの3つの言葉が繰り返し出てきます。
「人は死ぬ、だから時間が限られている。」
そのようなニュアンスのセリフがありました。
あたりまえのように聞こえますが、あまり意識はしたことはありませんでした。
だったら有効に使わないともったいないですね。
この映画の主題の1つとして過去の悲しみにより今を生きられていない、というものがあります。
ハワードほどの悲しみを経験したのならば、傷が癒えるまでかなりの時間がかかると思います。
しかし、過去は変えられるものではなく自分のコントロールが効かない領域のものです。
過去をずっと気にしているようだったら、今を楽しめません。
恥ずかしい経験をしたのだったら友達に喋って笑い話にすればいいし、もっとこうしたらよかったという経験があるのなら次同じような場面に出くわしたら前回とは違う行動をするための勉強だったと割り切ればいい。
おわりに
急に決心して急に観に行ったんですけどよかったです!
かなり抽象的な表現も多く、10人いたら10通りの捉え方ができそう。
アメリカ風のあの愛の表現とか案外好きだなー。
プラダを着た悪魔、マイインターンの監督の作品なので、それらが好きな人はきっと好きだと思いますよ。
あ、あとウィル・スミスが好きな方も。(結構僕ウィル・スミスファン笑)